【第六話】ダイゼンさん念願の店が下魚町に開店。間口二間、床は土間、まな板・蠅帳があるだけでした。
2009-04-14 Tue
大正八年十月八日、大石精肉店は下魚町(常盤町二丁目)にて再開しました。間口二間、奥行き十五間ですから、入口は現在の半分という狭さです。さて、大正時代の大石精肉店はどんな様子だったのでしょうか。静岡大火と空襲で当店の写真がすべて焼失してしまったため、伝え聞く範囲で想像しますと、店頭は土間とまな板、大きな蠅帳があるだけのシンプルなものでした。客だまりもなく、お客様は道路に並んで、道路から店員とやりとりをして買い物をしたのです。
また、冷蔵庫、ショーケースのない時代ですから、お客様から見た様子は、豚や牛の骨付き枝肉が店内にある大きな蠅帳の中に吊る下がっており、その手前にまな板があるだけの土間。これが当時の精肉店であり、ヨーロッパの精肉店のようにモモ肉の生ハムを削り売りしたり、以前に鮮魚店でアンコウの吊るし切りをしたように、客が求める量だけを切り捌いて販売していたのです。
現在では、スライスをするためのスライサー、ひき肉を作るためのチョッパー、保存するための真空パッカー、この三種が肉屋の必需品ですが、これらはすべてなく、包丁三種(1)骨すき、(2)筋引き、(3)手切りですべてをこなしていました。
冷蔵庫ではなく蠅帳というところが特に時代を感じます。生肉に蠅がたからないように、という工夫だけはされていたようです。
一般の家庭には冷蔵庫がない時代ですから、「その日に屠殺し、解体したものを、その日に売り切る」これしか販売方法はありませんでした。
当時の一般家庭の食卓は、特に静岡という土地柄もあってか、動物性タンパク質は魚介類で賄っており、精肉はあまり食卓に上がりませんでした。保存のきかない状況の中で、いかにしてロスを出さないで肉を販売していくか、肉屋さんの知恵比べが全国的に展開されてゆくのも、この頃でした。「半年商売」から、夢の「通年商売」へと向かってゆく過程の中で、あの「名物」が誕生してゆくのです。
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