【第五話】空き店舗が売りに出たという知らせに決断、急遽帰静し、下魚朝で精肉店を再開。
2009-03-31 Tue
親戚を頼って神奈川県横須賀市の海軍軍需工場へ出稼ぎにやって来たダイゼン(大石善作)さんは、静岡に戻って家族と共に暮らし大石精肉店を復活させるために懸命に働きました。その頃の楽しみと言えば、静岡にはない珍しいものを横浜・東京で食べ歩くことでした。そして
ついに、ダイゼンさんは支那そば(ラーメン)と運命の出会いをしたのです。お気に入りは、麺でもスープでもなく、チャーシューでした。そして、この頃から、ラーメンのトッピングであるチャーシューを、当時人気のあった牛鍋のように一品料理(ご飯のおかず)にするためにはどうしたものか、と考えるようになったのです。
大正八年、静岡に残して来た家族から、「下魚町(常盤町二丁目)に今までより広い空き店舗が売りに出た」という知らせが送られて来ました。「下魚町なら、今までの店から近いし、またあのお客様たちにも来てもらえる」そう考えたダイゼンさんは、「こんなチャンスは二度とない」そう思い、出店を決意、静岡に戻って来たのです。
戻って来ても、土地購入、店舗改装に出稼ぎで得た収入ではまだまだ足りません。そこで、イナミ氏に資本を出していただき、下魚町の空き店舗を改装しました。店舗は間口二間、奥行き十五間。敷地面積は現在の店舗の半分以下です。ちなみに現在の店舗は常盤町二丁目七の八、七の九、七の十三と三つの番地から構成されており、店の成長に合わせて広がって行ったのです。一階建てで店舗のみ。家族の住居は、店舗向い側の長屋(現ベルナールホテル)の入り口から一軒目の家を借りて住むことにしました。
こうしてダイゼンさんは、静岡で精肉店を再開することになったのです。何より喜んだのは、息子・要弌(当時城内東小学校)であり、父親と一緒に暮らせることが開店よりも嬉しかったと聞いております。
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