【第四話】開店半年後に閉店、善作は横浜に出稼ぎに行く。この出稼ぎこそがチャンスをつかむきっかけとなる。
大正六年十月に創業した大石精肉店は盛況だったと言います。その理由はいくつか考えられます。まずは、「独立した年の夏に氷販売をしていたこと」です。夏期に一般家庭に氷の宅配をしてお客様とのコミュニケーションを店主自らが常にとっていたことは、精肉店としての新規開店時における「来店客の確保」にどれだけ大きな影響を及ぼしたか図り知れません。
そしてもう一つ、善作が修行いていた「山下」のある新通りから七間町通りへと、歩いてもほど近い所に出店したことも理由に挙げられると思います。
固定客は三つに分けられると一般的には言われています。一つは「店に付くお客様」。店の経営姿勢など店の信用や商品の品質に付くお客様です。二つは「場所に付くお客様」。近くに住んでいるからとか店舗の外観・雰囲気が好きなど場所、建物に付くお客様です。そして三つは
「人に付くお客様」。店主もしくは従業員とコミュニケーションがあり、「あの人がいるからあの店で買おう」と思ってくれるお客様のことです。
「山下」時代に大石善作に付いていたお客様が多くいたという話は聞いたことがあります。
幸せなことに、独立した善作の元に多くのお客様が足を運んでくれたのでした。しかし、妻の死を乗り越えて開店し、半年間繁昌した大石精肉店ではありましたが、翌年には閉店してしまったのです。これは、自分の土地ではなく借地であったことなど数々の問題があったと伝えられています。土地を買う資金を稼ぐため、自分の父母、弟、妹に息子の要弌を預け、善作は横浜の軍需工場へと出稼ぎに向かったのでした。
これが、後の大石精肉店・伝家の宝刀「やき豚」誕生へと繋がってゆくのですから、人生とは分からないものです。「再生のための終焉」「ピンチはチャンス」という言葉は、まさにこの時の善作のための言葉だと感じています。

| 大石精肉店 | 13:53 | comments (0) | trackback (0) | - |
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