【第七話】一年中肉屋を開きたいという思いが、当店名物「やき豚」を誕生させる。
 肉屋である以上、半年商売ではなく一年通して肉屋を開きたい。家庭に電気冷蔵庫などなかった時代、例え冷蔵庫があったとしても、上の扉に氷を入れて下の扉の中のものを冷やすだけのこの時代に、真夏に生肉を販売することは無理でした。そこで初代ダイゼンさんは横浜で知った「ラーメンのチャーシュー」をヒントに、ご飯のおかずになる「やき豚」の商品開発に取りかかったのです。
 豚肉を拍子木ぐらいの大きさにカットして、醤油ベースのタレに漬け込む。そして、釜の中に吊るして炭火でじっくりと焼き上げる。この製造工程に至るまでには、大変な苦労があったと聞いております。
 豚肉の大きさ・・・中心までタレの味がしみ込み、そして外側があまり焦げないうちに中まで火が通るための「大きさ・厚さ」の決定までの苦労。
 タレの製造・・・日本の味・醤油とまろやかな甘味の絶品のバランス。大石の「やき豚」の決め手となるこのタレが完成するまでの味の変遷には多くの時間を費やしました。
 炭火の火力・・・一度釜を閉めたら、焼き上がるまで釜は開けません。この間に炭火が消えてもいけないし、強過ぎて周囲が焦げてしまってもいけないのです。これは永年かけて計算されて来た、吊るす肉の量と炭火力の関係データの上に成り立っているのです。
 釜の作成・・・この頃、今の常盤公園は「寺町」と言われ、多くの寺院がありました。その墓地に供える線香立てや花立てを作るために、この辺りには板金工が多くいました。当店の三軒隣にも「神谷板金」がありました。神谷さんとダイゼンさんとで「やき豚」を焼くための釜をいろいろと試作していたというエピソードも残っております。
 かくして努力の結果、中華のチャーシュー(煮豚)ではなく、大石の「やき豚」ができ上がったのです。時は大正末期、大石精肉店の名物「やき豚」は、冷蔵庫要らずの保存食として誕生しました。こうして、「やき豚」のおかげで、ダイゼンさんの念願であった「一年中、肉屋を開きたい」という思いは現実へと向かって行ったのでした。

| 大石精肉店 | 11:01 | comments (0) | trackback (0) | - |
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